小山のぶひろプロフィール

小山のぶひろのパーソナルデータ

略歴

1975年 12月26日掛川市(旧小笠郡大須賀町)生まれ 磐田育ち
1988年 磐田市立磐田西小学校 卒業
1991年 磐田市立磐田第一中学校 卒業(水泳部所属)
1994年 静岡県立磐田南高等学校 卒業(弓道部所属)
1999年 早稲田大学 政治経済学部 政治学科 卒業
2001年 早稲田大学大学院 政治研究科 修士課程 修了(政治学修士)
農林中央金庫(JAバンク)入庫(2006年退職)
2006年 松下政経塾 入塾
日本公共政策学会入会
2007年 民主党静岡県第三区総支部長 就任
2008年 一般社団法人 磐田青年会議所 会員
2009年 第45回 衆議院議員選挙にて当選
予算委員、財務金融委員、農林水産委員、
災害対策特別委員、決算行政監視委員、
海賊テロ対策特別委員を歴任
協同組合振興研究議員連盟 事務局長
お茶振興議員連盟 事務局長代理
二宮尊徳思想研究議員連盟 事務局長
経済産業部門会議自動車戦略WT事務局長代理等々も歴任
2012年 第46回 衆議院選挙にて惜敗
2014年 第47回衆議院議員選挙にて当選(2期目)
現在 農林水産委員会(理事)、議院運営委員会、災害対策特別委員会に所属

民進党国会対策 副委員長
民進党政策調査会 副会長
民進党農政改革研究会 座長

民進党静岡県連副幹事長
民進党静岡県連企業団体委員長

【議員連盟】
連合組織内議員懇談会 事務局次長
全国農団労組織内議員
協同組合振興研究議員連盟 事務局長
民進党お茶振興議員連盟 事務局次長
二宮尊徳思想研究会 事務局次長
民進党たばこ産業政策議員連盟
民進党・森林環境政策議員懇談会
ILO活動推進議員連盟
民進党オートバイ議員連盟
郵政議員連盟
民進党水産振興議員連盟 事務局長
民進党電機商業振興議員連盟 事務局長
民進党資源循環型社会推進議員連盟 事務局長
超党派|エアロビック普及推進議員連盟
民進党冠婚葬祭互助制度振興議員連盟
民進党土地家屋調査士制度推進議員連盟
民進党行政書士制度推進議員連盟
民進党自動車整備議員連盟
民進党歯科医療議員連盟
棚田振興議員連盟
日本の農業のあり方と安全な食を研究する議員連盟

【勉強会】
民進党軽自動車振興議員懇話会 事務局長

誕生〜小学校時代

生まれたときに住んでいたのは、父の勤めていた会社の社宅のあった旧小笠郡大須賀町大谷町。ちなみに生まれた病院は自宅から一番近い総合病院の袋井市立総合病院でした(まだ宇刈川のほとりの田町にあったころでした)。茶畑に囲まれた自然豊かな地で育ちました。

歩いて5分ほどのところにあるお地蔵さんには両親に連れられて、よく散歩がてらお参りに行きました。少し離れた普門寺にも遊びに行きました。今は立ち入り禁止となっている観音様のトンネルではよく遊びました。

大須賀町立大須賀保育園に入園。当時は沢上町にありました。お昼寝がきらいな子供でした。

七五三は三熊野神社でお願いしました。大須賀町立幼稚園に入園。幼稚園の時、裏山で火事があり、真っ黒い煙とその中に赤い炎がチラチラと見えたことを覚えています。

大須賀町立横須賀小学校に入学。春の遠足は普門寺の三十三観音めぐり。同級生と一緒に1円玉を三十三枚持って全部の観音様にお参りしました。

鈴木善幸総理が辞任したときに、父親に「なぜ、善幸さんはやめてしまうの?」と尋ねて父が「意志が弱かったからだと思うよ」などと答えていたことを覚えています。

戸塚進也先生が参議院議員から衆議院議員に鞍替え。父の勤めていた会社の朝礼にも挨拶に見えたことを、父が夕飯の時に話していたことを覚えています。

小学校1年生の2学期、11月23日に磐田市西新町に引っ越し。磐田西小学校に転校いたしました。

西新町では府八幡宮の祭典に参加。毎年、屋台のコースが変わることを不思議に思ったことを覚えています。夏祭りでは「愛宕さん」で映画の上映会があり、毎年楽しみにしていました。

小学校2年生の時からそろばん学校に通うようになりました。最初は身が入らず、友達といたずらばかりしていました。そろばん学校の近くの駄菓子屋「ひろみや」さんで、友達とよく遊びました。卒業までに全珠連1級、商工会議所検定2級を取得しました。

2年生や3年生の時は、友達と外で遊ぶことが多かったですが、4年生のころから「ファミコン」が普及し、友達と室内で遊ぶことも増えました。ドラゴンクエスト、信長の野望、三国志が大流行しました。

小学校4年生のころには北斗の拳が大流行、5年生のころには聖闘士星矢が流行しました。週刊ジャンプを近くのタバコ屋さんで毎週買うのを楽しみにしていました。

昭和50年12月26日生まれ
旧大須賀町 三熊野神社にて撮影。
沢上町にあった横須賀保育園に入園
横須賀幼稚園の発表会にて。
大須賀町立横須賀幼稚園を卒園
横須賀小学校に入学
磐田市の自宅前にて家族で記念写真
磐田市中泉の府八幡宮祭典に子供のころから参加。
小学生のころはそろばん塾に通っていました
磐田西小学校の運動会

中学校~高校生時代

中学校では水泳部に所属。種目は平泳ぎでした。部活の時間いっぱいまでひたすら泳ぐ練習で体力が付きました。それにしても4月のプールで泳ぐのは本当に冷たくて、今でも覚えています。冬は、顧問の先生の目を盗んで遊んでいたこともありました。市内大会で5位入賞、磐田第一中学校のメドレーリレーに出場できたことはいまでもうれしく思っています。

吉川栄治や陳舜臣山岡宗八の歴史小説を読むのが好きで、三国志、史記や十八史略などを読みました。井上靖の「敦煌」(映画化されました)や「楼蘭」「孔子」を読み、感動し、何度も読み返しました。井上靖の小説をきっかけに論語などを読みました。

技術の時間には、金属加工授業でブックエンドを作ったり、木材加工で電話台を作りました。また、3年生の時には半田ごてを使って卓上掃除機を作ったことを覚えています。

中学生の時にベルリンの壁が崩壊するとともに、湾岸戦争が勃発。報道番組・討論番組も始まり、ニュースステーションやサンデープロジェクトを見ていました。当時はバブル景気の時代でした。

中学3年生の時に生徒会長を務めました。目安箱ならぬ目付箱の数を増やしたこと自由化の流れの中で、校則改正を生徒が自分たちで考えて変えることとなり、自由と責任、秩序について、いろいろ考え、話し合いました。

磐田南高等学校に入学。高校では弓道部に所属しました。二段昇段試験、何回も落っこちましたが、3年生の4月に二段を取得しました。今はなくなってしまいましたが、浜松市鹿谷の弓道場で合格しました。インターハイは大スランプに陥って予選で敗退。朝練とお昼休み、無我夢中で早気の克服のために練習し、的前には立たず、ひたすら巻き藁に向かいました。やっとのことで早気を克服。練習では16射15中を数回出し、国体出場を目指しましたが、叶いませんでした。

世界史が好きで、世界史の先生の家まで遊びに行ったことがありました。また、古典の素晴らしい先生ともめぐり合いました。

高校三年生の時、受験勉強の合間に、図書館にあった磐田市誌を読み始めて止まらなくなりました。郷土の歴史に興味を持ち、歴史上の人物が磐田に縁があったことを知り、感動しました。

磐田第一中学校に入学
中学1年生のころの写真です
磐田第一中学校では水泳部に所属していました。種目は平泳ぎでした。
磐田第一中学校体育大会を無事に終えて生徒会役員で記念撮影
磐田南高等学校では、弓道部に所属。高校在学中に弐段を取得しました。
磐田南高校の文化祭にてクラスメートと
インターハイ予選。磐南弓道部の仲間と鹿谷にあった頃の浜松弓道場にて

大学生~社会人時代

大学は早稲田大学に進学。新入生歓迎、サークル勧誘のにぎやかさ、一人暮らしの楽しさ、すべてが新鮮でした。中野区の風呂なしアパートに住み、銭湯に通いました。静岡県西部の出身者で構成される遠州人会に所属。早稲田の校歌、応援歌の紺碧の空を覚えて、大学野球を見に行きました。早慶戦、盛り上がりました。

政治経済考究会にも所属。国際政治研究コースに所属しました。2つ上の先輩に国分功一郎さんが、二つ下の後輩に白井聡さんがいらっしゃいました。論客ぞろいで、政治思想のコースの人たちに、よく議論を吹っ掛けられていました。

近くにレッドピーマンという洋食屋があって、友達と夕ご飯を食べによくいきました。カニクリームコロッケがおいしかったですね。最近閉店したエルムさんにもよくいきました。早稲田弁当の唐揚げ…思い出の味です。

ワセクラ、マイルストーン、早稲田乞食…ミニコミ誌は面白かったですね。キャンパスの中を、現静岡県知事の川勝平太教授も歩いていました。人間の縁はどこでどうなるかわかりません…。

早大政友会にも所属…。入ったときは正規部員は一人でした。ここで中島政希さん(のち衆議院議員)と出会い、「さきがけ」の参院選、1996年結党の民主党から出馬した中島政希さんの選挙のお手伝いに泊まり込みで行きました。初めての選挙のお手伝い…、一枚のビラを渡すことに一生懸命でした。とても良い経験になりました。

同級生の池田麻里さん(現在、大宮市議会議員)の縁で枝野幸男衆議院議員をサークルの10人ほどの勉強会にお招きしました。よく、あの汚い部室に国会議員が来てくれたなと感激しました。わずか10人ほどの学生の勉強会でも熱心に、まじめに話す枝野議員の姿勢に共感を覚え、時々、大宮駅前の街頭演説のチラシ配りや、大宮市民会館会議室で行われていた枝野議員のオープンミーティングに伺いました。時々、枝野議員からなんとなくいじられたことを覚えています。これをご縁に、早大政友会では、春の新歓の時期に枝野幸男議員をゲストにミニフォーラムを開催することが恒例となり、毎年、お越しいただきました。

1996年の旧民主党結党時に学生の集まりに参加。旧民主党は学生部を作らない方針でしたが、枝野議員に学生部、あるいは学生の窓口になる部局を作ってほしいと企画書を作って持っていきました。近藤昭一議員が青年局長となり、私たちも月に1回「議員と語る会」を開催する活動を行いました。COP3京都会議の際には、民主党の街宣車に乗せてもらって京都まで行き、京都の学生グループの代表だった泉健太さん(現衆議院議員)たちとパレードしたり、意見交換しました。福山哲郎さんが熱く語っていたことも印象に残っています。

故郷の磐田市でも鈴木望さんの磐田市長選挙のお手伝いをしました。この時に、渡部修磐田市長や、八木啓仁元市議、田之上康成元市議、高橋広治元市議、玉田文江元市議とも出会いました。渡部市議(当時)の応援演説に感激したことが印象に残っています。また、鈴木泰さんの衆議院選挙も帰省した際にはお手伝いに伺いました。野党の党勢が弱く、与党の党勢がきわめて強かった時でも、旗を掲げ続けてくださった先人たちがいらしたおかげで、今の中東遠地域の野党が存続し、今の自分があるとおもっています。

ゼミは、静岡県立大学にも在籍したこともある山本武彦教授に師事。安全保障論のほか、経済制裁論、とりわけココム等の経済統制体制、国際レジーム論を学びました。ゼミの仲間は生涯の友です。落選したときにも温かい言葉をかけていただき、また、いろいろな相談に乗っていただきました。ゼミの合宿で長野県追分に行ったこと、伊豆のバームホール若竹にいったこと、先生も交えての楽しい飲み会、どれも楽しい思い出です。

山本先生には大学院でもご指導いただきました。大学院に進学したのはゼミから3名、学外から1名。大学院の1年目はひたすら勉強しました。睡眠時間は2~3時間で、毎日図書館や家、ファミレスで、勉強・研究をしていました。田中孝彦先生、坪井善明先生…厳しくもあたたかいご指導、ありがとうございました。

修士論文は「対米自主内閣の中国政策-岸内閣期(1957年2月~1958年5月)を中心として-」の題名で、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介内閣期の日本の対中政策をテーマとしました。外交史料館の資料が新規公開となり、毎日、飯倉の外交史料館に通い、マイクロフィルムを見ていました。修士論文は2011年に若干の加筆・修正を行い「脱占領時代の対中政策-戦後の日本は中国とどう向き合ったのか-」という題名で出版させていただきました。

農林中央金庫に就職。内定者の多くは経済学部や経営学部。私などは専門外もいいところでしたが、私も働かせてくれました。

農林中央金庫の受入研修では、当時の石原副理事長が「農協の組合員さんがいて、農協さんがあって、その大事な貯金を運用させていただいている。その利益で私たちは給料をもらっているんだ。君たちの預かっているお金は誰のお金か、何のために仕事をしているのか、そのことを忘れてはならない。」とお話になられたこと、今でも忘れておりません。

山口支店に赴任。最初の9か月は事務課に配属され、貯金、内国為替、貸付計算業務を少しずつ担当しました。15時すれすれで為替モニターが入ってきてあたふたしたこと、16時30分の信農連の担当部署との為替決済の電話なども担当した時期がありました。また、債券償還に行って、緊張して札勘したこともありました。創立記念祭のビンゴゲームの商品探しや、支店旅行の出し物やプレゼント選びなど、当時はいろいろ心配しましたが、今となっては楽しい思い出です。鞆の浦に行った支店旅行の出し物で、おもちゃのピコピコハンマーで支店長を叩け、と言われて…かなり弱ーく「ピコッ」としたことを覚えています。また、萩往還40キロを支店長、次長とともに踏破しました。萩駅に着いた時には感動して万歳しました。

赴任して最初の夏に「農協研修」と呼ばれる研修があり、山口県内のあるJAさんに2週間ほど住み込みで伺いました。ある支所にて貯金の窓口に座り、また、共済の推進に随行し、ガソリンスタンドでガソリンを入れる業務も行いました。ちょうど「きらら博」が行われておりました。当時の支所長さんから協同組合理念、協同組合とは何かを熱くご指導いただきました。

山口県内の史跡を訪ねることも休みの日の楽しみでした。岸信介記念館を訪ねたり、瑠璃光寺五重塔、赤間神宮、松下村塾など、観光地の真ん中に住んでいるみたいで、休日が楽しみでした。変わったところでは、磐田市出身の英雄で大内義弘とともに征西府を攻めた今川了俊の史跡もめぐりました。防府国分寺に大きな了俊公の石碑が立っています。実は磐田市と山口市、防府市は大内と今川(今川氏の静岡県内での発祥は静岡市ではなく磐田市)の縁があるのです。史跡探訪のほかは、湯田温泉や川棚温泉、菊川温泉に行きました。

二年目からは法人営業貸出と系統貸出を兼務いたしました。政治学科出身の私には、全く初めてのことばかりでしたが、決算分析を行ったり、稟議を書いたりする中で、財務諸表も読めるようになりました。リーマンショックの前で、債権の流動化・ストラクチャードファイナンスも行いました。それ以上にメインバンク担当者としてお客様の経営改善に努めたこと、やりがいを持って仕事を行いました。「融資は愛だ!」と言った支店長もいらっしゃいましたし、「お客様ととともに成長するという姿勢は忘れるな」「痛みを共有する姿勢を持て」とご指導いただいた支店長もいらっしゃいました。銀行員とはかくも情熱的な仕事であるのか、と思いました。森林関係業務では「森林組合改革プラン」策定に携わり、当時の本店の森林部長の方針に共感し、本店の先輩のスタッフとともに、取り組んだこと、今でもよい思い出です。

三年目には、和歌山事務所に移動。水産貸出、漁協系統信用事業推進業務に携わりました。マグロ漁業関連業務は先輩方に比べれば穏やかでしたが、つらい局面に至ることもありました。貯金推進等々では、ずいぶんと担当させていただいた皆様にお世話になりました。「うるさい奴だな」と嫌われたことと思いますが、業務上のことですので、ご容赦ください。田辺市闘鶏神社にて行ったJFマリンバンクの大貯金推進キャンペーン、暑い夏のさなかに行いましたが、今でもよい思い出です。

和歌山では、熊野三山や高野山、白浜温泉など自然が豊かでした。熊野や白浜からの帰り道、国道42号線を走りながら、遠くに漁火が見えたり、漁の準備をしている漁師さんたちの姿を見ることがありました。港の近くを通ると、この浜を守るために頑張らなければ、使命感が湧き上がってきたことを覚えています。

農林中央金庫では様々な研修も受講させていただきました。中小企業診断研修では某企業に2週間泊まり込みで入りました。私はマーケティング部門だったのですが、その時のマーケティングの先生とは、今でも時々、交流しておりますが、本当に良い思い出です。

2007年、中島政希さんから民主党の公募に応募することを勧められ、応募。合格し、2007年の榛葉賀津也参議院議員の選挙事務所に入りました。逆転の夏、感動的な大勝利でした。参院選のあと、事務所を探し、知己を訪ねることから始めました。中選挙区時代の野党の衆議院議員はいらっしゃいましたが、小選挙区移行後、静岡3区では野党の衆議院議員はおりませんでした。榛葉参議院議員にも多大なご支援とご指導をいただきつつ、2009年の総選挙を迎え、初当選することができました。

2012年の選挙では、野党分裂選挙となり、落選いたしました。2014年の選挙では復帰することができましたが、この2年間、変わらずに私や民主党を応援してくださった方々もいらっしゃいました。この皆様のことは一生忘れられません。苦しく厳しい環境は人間や組織を鍛えます。これからもブレずに、信念を貫いていきたいと思います。

早稲田大学政治経済学部政治学科に進学。国際政治学を専攻し、静岡県にも縁のある山本武彦教授にご指導いただきました。
大学生時代から学生ボランティアとして民主党の候補を応援。
政治・選挙の現場を垣間見てきました。
早慶戦をサークルの仲間と観戦しました。
民主党研修会にて、枝野幸男議員と。
学生時代に菅直人元総理と懇談。この写真は旧民主党のポスターにも採用されました。
早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。同大学院に進学。
早稲田大学大学院政治学研究科修士課程を修了。政治学修士。
修士論文は「対米自主内閣の中国政策~岸内閣期を中心として~」
農林中央金庫に入庫
山口支店にて残業中。
山口支店では、森林関係融資、化学メーカー等への法人営業を担当。経営改善計画の策定や進捗管理、債権の流動化などのストラクチャードファイナンスにも積極的に取り組みました。
JA研修では、JA山口宇部さんに泊まり込みで研修を受けさせていただき、協同組合理念と農業について学びました。
JA研修ではガソリンスタンドにも勤務しました。
和歌山事務所に転勤。和歌山事務所では、漁協系統信用事業推進業務を担当しました。
和歌山県内の漁港にて。水産貸出業務も担当しました。
担当させていただいた団体の皆様と
2009年衆議院総選挙に生まれ故郷の静岡第3区から出馬しました。
2009年衆議院総選挙に初当選いたしました。
国会議事堂前にて撮影
ラジオ出演させていただいたこともありました
山田正彦先生お迎えして農政懇談会
磐田市弓道協会に所属
府八幡宮の祭典に志組の中老として参加
東日本大震災にて被災地を訪問
大須賀町内のお祭りにご挨拶に伺いました
連合組織内議員懇談会総会にて、事務局次長として司会

パーソナルデータ

特技 水泳・弓道(弐段)
資格 ・銀行業務検定(財務、法務、税務)
・コンプライアンスアフィサー
・簿記 等
尊敬する人物 徳川家康、石橋湛山、二宮尊徳、石田博英
取り組みテーマ 「地方分権の推進」「農林水産業の振興」
社会ビジョン 「安心して子育てのできる社会」「額に汗して働く勤労者が報われる、公正で安心を保障できる社会」の実現。
好きな和歌 成敗はしばしな問いそたまきわる 命を懸けて来しはこの道
(三木内閣の官房長官 井出一太郎先生の詩)
座右の銘 「行不由径」、「衆人愛敬」
著書 「脱占領時代の対中政策 ‐ 戦後の日本は中国とどう向き合ったか」