NEOぱんぷきん 2018年2月号 好きです「遠州」!

更新日:2018.2.1

秋葉山~光明山~国分寺~国府(中泉)のレイライン

「レイライン」という言葉をご存知でしょうか。古代の遺跡や日本の神社・聖地が直線的に並ぶよう建造されており、それらを結ぶ線のことを「レイライン」というそうです。古代日本の首都であった巻向遺跡や明日香及び大神神社から見て、東には伊勢神宮があり、西には大鳥神社や伊弉諾神宮、北には比叡山、南には熊野本宮大社と潮岬があります。道教が日本に影響を与える以前の日本では、東が最も聖なる方位とされていました。天照大御神が伊勢の地を選んだのは、明日香や巻向から見て、東にあったことも要因の一つかもしれません。また、徳川家康公は、「日光東照宮の謎」によると、「京都~岡崎~鳳来寺~駿府~久能山」の東西のレイラインの東の果て(明日香からみた伊勢の方角)に葬られたということになります(ちなみにこのレイライン上には秋葉山、春埜山もあります)。そして1年後、久能山から日光に改葬されます。久能山から日光に直線を引くと、富士山がその直線上に位置します。また、日光は江戸の真北に位置しています。家康公は久能山から富士山を通ることで「不死」となり、江戸からみて、道教における聖なる方位である「真北」に位置する日光に改葬されることで、関東の神となって幕府を護ろうとする意図を持っていたのではないかと考えられます。「天照皇大神」と「東照大権現」とは対を意識したようにも感じられます。ちなみに、私もシロウトの横好きで地図を開いて定規を当ててみました。色々とレイラインがみつかるような?気になります。伊勢神宮と富士山を結ぶ東北・南西のライン上になんと秋葉山がある…秋葉山は、富士山と伊勢神宮という日本の二大聖地の中心に位置する強力な聖地かもしれません!?。単なる偶然とは思いますが、何かの縁があるかもしれません。

ところで、よく知られていますが、奈良時代の遠江国府~遠江国分寺~光明山~秋葉山は南北にほぼ直線で結ぶことができます。たぶんこれはレイラインで、意図的に並べられたものではないでしょうか。アルプスの山々からなる地形をみて、国分寺を聖なる地に建立したのか、国分寺を作って、その守護のために秋葉山や光明山に聖地を築いたのかはわかりません。秋葉山も光明山も行基開山との言い伝えがありますから、国分寺建設とほぼ同時代ということになります。聖武天皇が肝いりの国分寺と、桜井王が国司であったことも考えると、国分寺を守護するために、聖地が配置されたのかもしれません。ちなみに国分寺の七重の塔に収められた経典は「金光明王最勝王経」という国家鎮護の経典であり、光明山の名称と共通するものがあるとも思います。

森町三倉の許禰神社の由来によると、遠江の国司は秋葉山と春埜山に毎年参拝したそうです。秋葉山から国府へのレイラインを意識すると、国府~国分寺~岩室寺・虫生(ここで温泉に入って湯垢離)~光明山~秋葉山という、古代の信仰の道のストーリーも炙りだされてるように感じます。

小山展弘

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