NEOぱんぷきん 2018年8月号 好きです「遠州」!「報徳とまちづくり」

「報徳とまちづくり」

二宮尊徳は、江戸時代末期に日本国内の六百以上の農村復興を指導しました。尊徳の農村復興のやり方である「仕法」や「報徳思想」と言われる尊徳の考え方は、豊田佐吉さんや松下幸之助さん、稲盛和夫さんをはじめ、日本企業の名だたる経営者が参考にし、日本型経営の原点になったと言われております。また、戦前の産業組合や戦後の農協や生協などの日本の協同組合の思想的バックボーンともなっています。二宮尊徳の教えは、掛川市に本社のある大日本報徳社に受け継がれています。最近まで大日本報徳社長を務められた榛村純一先生は、掛川市長として、町づくりに報徳思想を活かして参りました。

「報徳思想」とはどのような考え方なのでしょうか。二宮尊徳の七代目子孫である中桐万里子先生の著書によれば「あらゆるものには『徳』があり、まずその徳を知り、理解し、その『徳』に報いていこうとする姿勢」と言えるでしょう。「徳」とは、いまここに現存しているあらゆるものを成立させたプロセス、経緯、そこに込められたドラマや歴史とでもいうべきもので、これらのプロセスには感動や知恵があると仰っています。たとえば、一本の松の木も突然、今のカタチになったのではなく、小さな苗から始まり、たくさんの人が手間ひまをかけて作業を加え、思いを注ぎ、育ててきた歴史があり、太陽の恵みと雨風の恵み、大地の恵みなど、多くの自然がこの松のためにエネルギーをかけて、一本の松の木になっているのです。「報徳」とは、自然や親やご先祖様を始めとする多くの人の力や思いが凝縮した結晶として、多くのものを与えられて、私達は、今、ここに存在しており、そのことに気づくとともに、すでに「与えられている」ことに感謝し、「すでに幸せなのだから頑張ろう=報いようとする姿勢」ということだと思います。また、問題を解決する際に、あらゆるものにすでに宿っているプロセス(情報)を活かそうとする姿勢とも言えるでしょう。

ところで、中桐先生の著書によれば、先生の住む京都では「この坂道を近藤さんが走っていたんだよ」などと、新選組の近藤勇が、つい昨日、清水寺の近くの坂道を走っていたかのように会話をすることもあるのだそうです。また、「京都では、有名な神社仏閣だけではなくて…、街の隅々にそうしたドラマが残されています。そして京都人たちは、驚くぐらいにこれらのドラマをよく見て暮らしています。これらドラマがたしかに現在も鮮やかに息づいているのがこの土地です。京都の人々は、まるで昨日のことのように隣人のことのように京都という土地を築き上げてきたプロセスをとらえています」「愛されてきたことを知っている、受けていることを知っている、徳というプロセスをよくみて、それとともに生きている。だからこそ、自信やほこりを抱くことができる。だからこそ、それらに応えるように『今度は自分だって京都のために何かしよう!』という恩返し実践へと向かっているわけです。大いなる郷土愛を発揮し、イキイキとそこで暮らし、京都という地をもっとすてきに、もっと尊いものにしようと尽力しているということです」とも述べておられます。

翻って、私たちは、今、自分たちの住んでいる町や土地の徳やドラマをよく見て暮らしているでしょうか?遠江のそれぞれの町にも、それぞれのドラマがあり、先人たちの苦労があり、あるいは先人たちが注いだ郷土への限りない愛や思いがあります。それは、今、皆様が手に取っている「NEOぱんぷきん」に本当にたくさん、紹介されてきました。歴史上の有名な人物との関わりだけを挙げてみても(本当にごく一握りですが)、聖武天皇と桜井王が国の安寧を願って国分寺を造営し、平家一門の滅亡の哀歌があり、今川了俊や今川義元の活躍があり、徳川家康が「坂道を走って」逃げたであろう一言坂の戦いを筆頭に、徳川家康が苦難を経験しながらも成長していったドラマがあり、緑十字機の不時着と住民の救助が日本の未来を救ったドラマもあり…数えきれない様々なドラマを見ることができるのではないでしょうか。歴史上の人物だけではありません。道端にそっと立つお地蔵様、町や村の鎮守様、名もなき民衆が往来した道、願いを込めて作られた観音様など、私たちは、なんと多くのドラマに囲まれて、素晴らしい「徳」のある地に生きているのではないかと気づかされます。このようなすでに存在している、この土地の「徳」やこの町の「徳」を活かすことこそ、町おこしや町づくりの第一歩ではないかと思います。

小山展弘