NEOぱんぷきん 2019年1月号 好きです「遠州」!「江戸」と「明治」を調和した現代文明を創ろう

新年あけましておめでとうございます。2019年は明治維新150周年にあたり、様々なイベントが行われるようです。私も農林中央金庫に勤務していた際、山口県に2年半ほど赴任していました。山口県の皆様は、長州藩出身の「志士」たちが明治維新の原動力となったことを大変誇りに思っています。長州は吉田松陰や高杉晋作、伊藤博文にはじまり、維新の偉人を多く輩出しました。その一方で、萩在住の方から言われたことがあります。「歴史の教科書に出てくるような有名人ばかりに目を向けないでほしい。彼らに影響を与えた師の存在、志半ばで散っていった若い無名の志士達の活躍と犠牲の上に、彼らの名声があります。それを忘れないで欲しい」。いつの時代も、歴史に名を残さない無名で無数の「地上の星」たちの活躍や犠牲の上に時代は動いていくのかもしれないと感じました。私自身も、無名であっても、常に「時代を動かす側」でありたいと思ったものでした。

明治維新は、政治・経済・社会・文化など、あらゆる面で大きな変化をもたらし、「富国強兵」によって日本は瞬く間に列強の一員となりました。しかし、明治維新には暗い側面もあります。数多くのテロや暗殺、会津藩に対する仕打ちに代表される戊辰戦争の負の部分、廃仏毀釈運動による寺院破壊など、原田伊織さんの「明治維新という過ち」という書籍等には、明治維新の負の側面が余すところなく書かれています。また、社会学者の富永健一先生によれば、明治の近代化は産業面におけるものが主であり、その産業化も都市部に限られ、農村部には耐久消費財や農業機械等の工業製品市場が浸透しなかったこと、政治体制や社会制度の法整備の遅れも含め、明治時代の近代化は十分ではなかったとの指摘もあります。明治時代に限らず、どの時代であっても「全てが光だけ」ということはないのだと思います。

一方で、明治に否定された江戸時代も、現代の感覚で同列に論じることができないとはいえ、「暗黒」の側面ばかりではありません。江戸時代を開いたのは徳川家康公であり、静岡県や愛知県など東海地方の人たちが大きな原動力となりました。徳川家康公は、朝鮮から撤兵し、朝鮮通信使による外交を始めるとともに、戦による領地の拡大と恩賞を求める武士たちの仕組みを根本的に改め、現状維持を図る仕組みに転換を図りました。現在でいえば成長国家から成熟国家に転換したというべきでしょうか。川勝平太知事の「文明の海洋史観」等の著書によれば、江戸時代は「身を修めて徳を積むことが権力の正当化の根本」とし、武力のみの統治ではなく、徳治主義・文治主義の要素を取り入れました。国内においては「鉄砲を棄てた日本人」のとおり軍縮を進め、260年間の太平の世を築きました。また、経済面では、労働集約型で土地の生産性を高めることに注力し(勤勉革命)、土地の生産性は幕末に世界一の水準に達しました。また、資源が少ないことから、リサイクルに工夫を凝らし、エコな循環型の社会を築きました。江戸は100万人を超える世界有数の都市に成長しましたが、一方で清潔な都市だったと言われています。武士たちは、土地を所有しませんでしたが、教養と文化と道徳を学び、経営と統治の資質を磨きました。このような文化的背景から、維新の志士たちや渋沢栄一などの明治の経営者が輩出されました。また、文化を大切にする姿勢から、元禄文化や化政文化が花開き、それは世界中に影響を与えました。モラル等の面でも、「江戸時代の日本人」こそ、訪れた欧米人から絶賛されたのです。

川勝平太知事が、「明治維新には、功もあったが罪もあった。江戸時代を『正』、明治時代を『反』とし、弁証法のごとく、『合』となるべき現代を創っていこう」と仰いましたが、私もまったく同感です。特定の時代を美化しすぎることなく、その時代の外部環境も考慮に入れながらも、それぞれの時代の特徴を、現代の課題を解決するためのヒントとすべきであろうと思います。江戸時代と明治時代を調和し、戦前と戦後を調和し、地球の直面する環境問題や核軍縮、経済格差などの諸課題を解決する、新たな文明を創ることが、今を生きる我々の役割であるように思います。

小山展弘