NEOぱんぷきん 2019年11月号 好きです「遠州」!「遠州と信州の交流-遠州における諏訪信仰を中心に」

諏訪大社様は、全国に一万社を数える分社があるので、遠州に諏訪神社様が多数存在していても何の不思議もないのですが、遠州の諏訪信仰には独特のものがあると思います。諏訪湖と地底でつながっていて竜神様が行き来するという伝説のある御前崎市の「桜ヶ池」、桜ヶ池から諏訪湖に向かって竜神様が移動する際に休憩すると言われ、七年に一度程度で出現する水窪の「池の平」、同じく地底で諏訪湖とつながっているという伝説のある天竜区春野町の「新宮池」など、他では見られない特色ある諏訪信仰と言ってよいのではないでしょうか。掛川市横須賀の三熊野神社の摂末社に諏訪神社がありますが、三熊野神社の関係の方によると、三熊野神社にある諏訪神社様は諏訪大社様と結びつきが強く、ご神威も非常に強いのだとか…(皆様もお参りされてはいかがでしょうか)。また、諏訪湖の東端の真南、諏訪大社上社本宮や前宮のほぼ南に、遠州一之宮の事任八幡宮様や粟ヶ岳が位置します。池宮神社(桜ヶ池)、三熊野神社、法多山なども諏訪湖からみて概ね南に位置します。これらは偶然かもしれませんが、古代の人達が意識したレイラインのようなものかもしれません。現在も神棚を祀ったりする際には、部屋の北側から南向きで祀ることを勧められるように、日本では北を神聖なる方位として位置づけてきました。信州や諏訪は、遠州からみて北にあたります。このような位置関係を、古代の人達も意識していたのかもしれません。

赤石山脈などへの自然崇拝・山岳信仰が、遠州における諏訪信仰に影響を与えているかもしれません。諏訪大社上社前宮様は真南の洩矢山がご神体山であるとされていますが、その洩矢山は、現在、南アルプスと呼ばれている山脈の北端に位置します。洩矢山のはるか南には光岳があり、さらに目を南に移していくと、やや南西にそれますが、常光寺山、竜頭山、秋葉山、光明山があります。富士山や白山、御嶽山など、数多くの日本の山岳信仰は、言うまでもなく、それらの山々をご神体として崇めるものですが、日本第二位の高さを誇る北岳(白根山)や、赤石岳や赤石山脈などをご神体とする山岳信仰については、ほとんど聞いたことがありません。諏訪大社上社前宮様から南に向かって拝むことと、遠州の諏訪にゆかりのある神社から北に向かって拝むことは、実は赤石山脈や南アルプスの山々をご神体として崇めているのではないかとも推測いたします。

諏訪に追いやられた出雲系の人々が天竜川を下り、遠州の地で、出雲大社の大国主大神様や諏訪大社の建御名方大神様への信仰を広めたのかもしれません。元磐田市議会議長の加藤治吉さんが当時の出雲市の議長さんとお話しした際に、そのようなお話で盛り上がったそうですが、たしかに、遠州一之宮の小国神社、二之宮の鹿苑神社(元宮である春野町の小国神社)は、出雲大社と同じご祭神である大国主命様を主祭神としてお祀りしています。出雲系の人たちが天竜川を下った際に、出雲大社の大国主命様への信仰を広めるとともに、諏訪大社や諏訪湖にまつわる伝説を創っていったことも十分に想像できると思います。

ところで、諏訪に近い松本付近に、天武天皇は、飛鳥京の副都の建設を計画しました。松本は、関東に向かう陸路の東山道に位置するとともに、天竜川を下れば太平洋に、信濃川を下れば日本海に至る交通の要衝と考えられたという論者もいます。この松本からみて遠州は南に位置するため、遠州は副都にとっての熊野の位置にあたり、また南方の観音補陀落浄土の地と位置付けられたのではないでしょうか。天武天皇の孫の文武天皇は、熊野三山に祈願して聖武天皇が生まれたので、その御礼に熊野三山を東国に勧請します。その熊野三山は遠州に勧請されるのですが、敢えて遠州に勧請されたのは、飛鳥の南方におわす熊野の神々を副都の南方にお迎えするという意味があったのかもしれません。

悉平太郎伝説をはじめ、隣国である信州と遠州の古来からの交流には枚挙に暇がありませんが、現代に生きる私達も、東西の交通軸ばかりでなく、南北の交通軸にももっと目を向ければ、そこに新たな地域振興のヒントがあるかもしれません。

小山展弘