NEOぱんぷきん 2020年7月号 好きです「遠州」!桜ヶ池と池宮神社、瀬織津姫大神様の伝承

御前崎市の桜ヶ池は、標高四十メートルの小高い山の上にあるにもかかわらず豊かな水に恵まれた遠州七不思議に数えられる神秘の池です。底なし沼のように深く、横須賀藩の殿様が深さを測ろうとして祟られた伝説や、信州の諏訪湖と湖底でつながっているという伝説、巨大な牛が桜の前姫を池に連れ去った伝説などがあります。九月に行われる「お櫃おさめ」では赤飯をつめて池に沈めたお櫃がすぐには浮かず、十日ほど経ってやっと空になって浮いてくるので「龍神様が食べている」との伝説もあります。「お櫃おさめ」は天台宗の僧侶、皇円阿闍梨の入定伝説と関わりがあります。皇円阿闍梨は浄土宗を開いた法然上人の師で、歴史書「扶桑略記」を著した名僧でした。五十六億七千万年後に現れる弥勒菩薩様から教えをいただくため、龍(大蛇)に姿を変え、遠江の聖地である桜ヶ池に入定し、今も池の底にいらっしゃると言い伝えられています。桜ヶ池を入定の地として薦めたのは法然上人であり、皇円阿闍梨の供養と池宮神社への奉納のため、法然上人がお櫃に赤飯を詰めて池に沈めたことが「お櫃おさめ」の始まりと言われています。桜ヶ池の畔には、かつて天台宗の天岳院や応声教院の分院もありました。現在、池の東側に地蔵尊様、観世音菩薩様、法然上人や皇円阿闍梨の供養塔、鯉の供養碑がありますが、このあたりに天岳院があったのでしょうか。桜ヶ池は池宮神社様と天岳院様とが並び立つ神仏混淆の聖地であったと推察します。

池宮神社様の主祭神は瀬織津姫様です。瀬織津姫様は、神道の重要な祝詞である「大祓詞」などに出てくる祓戸大神のお一方で、お祓い、厄難・災難除けなどのご神徳が強いと言われています。変わったところでは、映画「君の名は。」のモチーフとの関連を指摘する人もいます。瀬織津姫様は龍神様や弁財天様と同じ神様という説、天照皇大神様の荒御魂と同じで伊勢神宮内宮の荒祭宮の祭神の別名という説もあり、江戸時代には兵庫県の廣田神社の主祭神として祀られていたようです。偽書と言われますが「ホツマツタエ」では、瀬織津姫様は男神である天照大御神の妃神とされています。また、瀬織津姫様は縄文時代から祀られてきましたが、持統天皇即位の際に天照大御神が男神から女神に入れ替わったため、その妃神であった瀬織津姫様は祀られなくなり、女神としての天照皇大神様が祀られるようになったと主張する論者もいます。さらに、明治維新の際に瀬織津姫様の名前が祭神から消え、天照皇大神が祀られるようになったと主張する論者もいます。諸説ありますが、いずれにしても、池宮神社様は瀬織津姫様を主祭神としてお祀りする数少ない神社の一つです。

この池宮神社にゆかりのある人物として、初代静岡県知事の関口隆吉翁を挙げることができます。関口隆吉翁の父は池宮神社宮司の弟で、関口家の娘婿となりました。県知事が官選だった時代、多くの知事が薩長土肥の藩閥出身だったのに対し、静岡県は、幕臣出身の関口隆吉が初代の県知事に就任しました。牧之原の開拓、お茶や蜜柑の栽培など、静岡県の明治期における発展は、江戸幕府の幕臣や旧徳川家臣団の力が大きかったと言われています。関口隆吉翁が池宮神社の神職家の出身であったことが、さきほどの池宮神社に瀬織津姫様が現在まで祀られていることについても、関係しているのかもしれません。

ところで、桜ヶ池は、かつては男池と女池と二つの池から構成されていました。いつのころからか片方の池がほぼ消滅してしまいました。神社関係者の方のご案内によれば、もう一つの池は、現在の桜ヶ池の西側にあったとのことで、テニスコートのあたりに広がっていたようです。池宮神社様の本殿脇から西に続く道を歩いていくと、道の両側に小さな池が現れますが、これがかつてのもう一つの桜ヶ池の痕跡だそうです。池宮神社の拝殿の背後に、もう一つの池があったという位置関係になりますが、大神神社様や熊野那智大社の飛瀧神社様のように、山や池や滝などの自然そのものを崇めていた信仰のあり方から推測すると、ひょっとしたら、瀬織津姫様の出現の神池は、現在はほぼ消滅してしまった、失われた池の方かもしれません。皆様も、一度、桜ヶ池を散策してみてはいかがでしょうか。

小山展弘