NEOぱんぷきん 2020年12月号 好きです「遠州」!春埜山―疫病退散の信仰もある、秋葉山と並び称される遠州の霊山

更新日:2020.12.1

春埜山は、秋葉山と対を成すがごとき遠州を代表する霊山です。『遠江古跡図絵』には「春埜山、俗に春葉山ともいふ」と記されており、かつてはそのように呼ばれたこともあったようです。標高883mの春埜山は、秋葉山、光明山とともに「北遠三霊山」「遠州三霊山」と崇められるとともに、三倉川や太田川の水源霊山として信仰され、旧春野町の町名の由来にもなりました。また、春埜山は、ほぼ北緯35度に位置していますが、北緯35度は古代の秦氏や徳川家康公が意識した日本を東西に貫く「レイライン」と考えられ、ほぼ同じ緯度に京都、岡崎、鳳来山、駿府城、久能山が位置しています。北緯35度線は春野町の気田地区(南宮神社付近)を貫いていますが、春埜山のみならず秋葉山や新宮池などの信仰の霊地も概ね北緯35度線上に位置しています。春野地区全域がパワーエリアとでもいうべきかもしれませんが、樹齢1600年以上とも言われるご神木の「春埜杉」もあるなど、春埜山は秋葉山や新宮池とともに、尋常でない霊気あふれるパワースポットであるように感じます。

春埜山の山頂付近には大光寺があります。大光寺は718年に行基菩薩が開山したと伝えられています。神谷昌志氏の『天竜川と秋葉街道』によると、室町時代以前の寺史は明らかではありませんが、室町時代には真言宗の修験寺となっていたようです。大光寺は曹洞宗の瑞雲院との関係も深く、江戸時代中期には曹洞宗に改宗しました。大光寺は神と仏を一緒に祀る神仏混交の寺で、現在も江戸時代までとほぼ同様の信仰形態をとどめています。先述の「春埜杉」は、大光寺開山の際に行基菩薩が植えたとも伝えられ、県の天然記念物に指定されています。大光寺のご本尊様は、大梵天様、帝釈天様、閻魔大王様で、行基菩薩が杉の大木から刻んだと伝えられています。寺院のご本尊は如来様や菩薩様であることが多いので、天部の神々様が寺院のご本尊というのは珍しく、しかも天部の中でも荒々しい神々様であり、いかにも修験の寺であると感じます。春埜山信仰のメインは「太白坊大権現」という天狗様であり、ご本尊様を守護するご存在として本堂の左手にある本殿に祀られています。太白坊大権現様がいつから春埜山に祀られるようになったかは明らかではありません。神谷昌志氏と酢山隆氏の『遠州の寺社・霊場』によれば「太白坊大権現様は天を飛翔する際には山犬に乗って東奔西走する」と信仰され、火焔を背負い、不動明王に羽が生え、山犬に乗った姿で描かれています。地元には、春埜山のお札を「お犬様」と呼び、悪疫退散や病害虫除けを願って、竹に挟んで敷地の境界に立てる信仰があります。春野町史によれば、江戸末期のコレラ流行の際には、太白坊大権現様の病魔退散の御利益が信じられ、その信仰は遠州一円に広がったとのことです。また、山犬のお札は山住神社のものが有名ですが、春埜山の山犬のお札は、とりわけ「狐つき」に御利益があるとも言われています。

『遠江古跡図絵』には「春ひらきし山を春埜山、秋ひらきし山を秋葉山」との記述があります。この記述は、僧侶や修験者の入峯修行や山林修行を指していると考えられます。浅羽郷土資料館の「遠州の霊山と山岳信仰―その源流と系譜―」によれば、国分寺の僧侶や修験者(山伏)の山林修行場として、遠江一宮の本宮山や岩室寺を起点とし、白山~春埜山~大日山~大尾山~粟ヶ岳~駒形神社~三熊野神社~普門寺~小笠神社~法多山へと続く遠州の東方の霊山・寺社をめぐる「春の入峯修行場」が存在していたとのこと。また、光明山~観音山~龍ヶ岩山~富幕山~石巻山~普門寺へと至る遠州の西方をめぐる「秋の入峯修行場」もあったようです。中世後期には、秋葉山を起点に竜頭山、山住山、常光寺山へと続く南北の修行道も開かれました。これら回峰修行の道は密教の山岳寺院も組み込む形で、鎌倉時代初期には形成されていたと考えられています。春埜山の名前は、このような国分寺の僧侶や修験者の「峯入り修行」に由来するという説もあります。

旧春野町には、秋葉山や春埜山のみならず、新宮池や気田の南宮神社様、遠江国二之宮の小国神社様など、多くの自然・文化遺産があります。皆様も、秋葉山へのお参りの後には、東の霊山である春埜山をはじめとする春野の霊地・霊場を巡ってみてはいかがでしょうか。

小山展弘

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