NEOぱんぷきん 2021年8月号 好きです「遠州」!石橋湛山の「常不軽の行」

石橋湛山が「政治家は常不軽菩薩のごとくあらねばならない」と雑誌のインタビューで語っているのを、修士論文の執筆中に読んだ記憶が確かにあるのですが、その資料がどこを探しても見つかりません。改めて調べ直して、やっと見つかったのは、その時の雑誌ではありませんが「常不軽の行」というエッセイ風のコラムでした。石橋湛山は「すべての人に頭を下げて歩くのも、またこの常不軽の行であろう。われわれは、それらの人々が持つ一票の尊貴なるがゆえんを、広く自覚してもらうためである」と述べています。

常不軽菩薩とは法華経において、出家・在家に関わらず、全ての人に仏性があり、仏になる可能性があることを説き、それゆえにこそ全ての人を礼拝した菩薩様です。常不軽菩薩はあらゆる人に語りかけて礼拝するのみで、自分自身のために聖典を学ぶことなく、他者に教理の解説をすることもありませんでした。多くの修行者は常不軽菩薩に対して嫌悪感を抱き、怒り、罵り、中には杖で打ち、石を投げつけました。常不軽菩薩は逃げながら、それでも「私はあなた方を軽んじない。あなた方は仏になる」と主張し続けました。そして、常不軽菩薩は最終的には釈迦牟尼仏として生まれ変わったと法華経は説いています。植木雅俊氏は『法華経とは何か』の中で「だれでもブッダになれると主張し続けたこと自体、さらに悪口・罵詈されても感情的になることもなかったということ自体、それこそがまさに『法華経』の説かんとするところ」であり、「この菩薩の振る舞い自体が『法華経』の精神にかなっていて、この菩薩が『法華経』を自得し」、「この菩薩の人間尊重の振る舞いを貫いているならば、その人は既に『法華経』を行じていることになる」と解説しています。

また、植木氏は「あらゆる人の平等を信じて、人間尊重の行為を貫いても、なかなか理解されない。誤解されて、ひどい仕打ちを受けることもある。それでも誠意を貫くことが理解を勝ち取る近道であるということを教えている。それが仏教、なかんずく『法華経』の他者に対する接し方」であり、「誠意を誠意と感じるかどうかは相手の問題で、誤解されたり、すれ違ったりするのが常である。そこにおいて、誠意はどこまでも貫くしかない…そこに持ち合わせなければならないのが、常不軽菩薩の立脚していた「忍辱心(いかなる迫害や辱めにも耐える境地)であり、それを支えるのが『一切衆生に仏性あり』という人間観(「不軽の解」)に基づく慈悲の心であり、いかなる毀誉褒貶にも…執着することのない『一切法は空であるという覚り』」と述べています。そして植木氏はこの常不軽菩薩に最も注目したのが日蓮上人であったと述べています。日蓮上人は常不軽菩薩の姿を通して人の振る舞いの大切さを読み取り、全ての人に仏性があるからこそ、その人を軽んじることは仏を軽んじることになるとの考えに至ったと論じています。そして、植木氏は原始仏典の『ウダーナヴァルガ』の「勝利というものは常に謗りを堪え忍ぶところのその人のものなのだ」という言葉を紹介しています。

日蓮宗の僧籍も保持していた石橋湛山が、仏教や法華経、常不軽菩薩に対する深い理解を持っていたと考えることは自然なことで、このような法華経の教えから「常不軽の行」のエッセイを書き、「政治家は常不軽菩薩のごとくあらねばならない」と述べたと考えられます。それだけでなく、法華経の教えは、石橋湛山の政治家としての行動、言論人としての論説や主張の全ての根底に流れるものであったと考えられます。だからこそ、時代に制約されていないかのような論説や考えを主張しえたのではないかと思います。それにしても、罵倒され、石を投げつけられても、相手に仏性があると尊重し、戦うことなく逃げながらも主張を曲げなかったという常不軽菩薩の教えとそれを実践しようとした石橋湛山の姿勢には頭が下がるだけでなく、勇気をいただきます。混迷の時代、先が読めない時代、変化の激しい時代だからこそ、日本が生んだ優れた言論人であり、また、おそらく理念・品格・人物という点では最高の政治家であった石橋湛山の生き方、考え方、その根底となる法華経に学ぶところは多いと思います。

小山展弘