NEOぱんぷきん 2021年9月号 好きです「遠州」!
小國神社―古代の森が広がるご神気あふれる遠江国一宮様

小國神社様は、古来、遠江国一宮として、遠州一円の信仰を集め、近年は静岡県内のみならず全国各地から参拝に訪れる人が絶えません。ご祭神は大己貴命様で別称を大国主命様と言われます。欽明天皇の御代16年(555)2月18日に本宮山に御神霊がお現れになられ、都より勅使が派遣され、現在地に社殿を造営し、正一位の神階を授けられたことが神社の創建であると伝えられています。以後、年々、勅使が下向され奉幣が捧げられました。御神霊のお現れになられた本宮山には奥磐戸神社があり、現在でも小國神社様の奥宮として鎮座され、大己貴命様の荒魂が祀られています。本宮山は遠江国の中央に位置し、遠江国を一望できる絶景の地で、かつて国司がこの場所から国見をしたとも考えられ、漁師たちも本宮山を目印に漁をしたと言われています。文武天皇大宝元年(701年)春18日の勅使奉幣の際に、十二段の舞楽を奉奏されました。この十二段舞楽は、国指定重要無形民俗文化財に指定され、現在でも4月18日前後の一番近い土曜日・日曜日に奉納されます。小國神社様が文献に初出するのは「続日本後紀」で、840年に「周知郡内の小國天神」が従五位下を授かったことが記されています。延喜式では式内社に列せられ、中世以降も武将の崇敬も篤く、徳川家康公は1572年の戦に際して、御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛治宗近作の太刀を奉って戦勝祈願しました。その後、社殿は全て焼失してしまいますが、1575年に勝利を得た徳川家康公は、御本殿、拝殿・楼門を再建され、更に社領五百九十石の朱印を奉りました。

神社名の「小國」について、打田文博宮司様は「奈良県の泊瀬小国の地名のとおり、『小国』とは山に囲まれた盆地で、信仰的・宗教的な籠りの聖地、神を祀る地との意味から名づけられたと考えられる。大国主命様と対比する『小国』ではない」と仰っておられます。また、『小國の神 遠江国一宮小國神社誌』には、小國神社の根生いの神は「小國の神(オクニの神)」であったが、6世紀代の遠州地方の三国造(遠淡海国造、久努国造、素賀国造)が、いずれも物部氏を祖とすることから(「先代旧事本紀による」)、物部氏が国造に任命された折、国土開拓の神である大己貴命様を勧請し、祭られたのではないかと書かれています。

摂社・末社の一つである御垣内の並宮には熊野の神である伊邪那美命様、事解男命様、速玉男命様が祀られています。遠州に熊野信仰が伝わったころから祀られるようになったのではないかと考えられています。また、摂社・末社の中で特徴的なのは、この地の守護神とも敬われている塩井神社様です。境内より現在も塩水が湧き出でており、不思議なスポットです。この塩水は胃腸の薬とお祓いの魔除けになると伝えられ、「塩井汲み」をする崇敬者も参詣に訪れています。なお小國神社様の付近にはかつて水晶が採れた山があるなど、いわゆる大地のエネルギーの高いと古来より考えられてきた場所に社殿が創建されたのではないかと推測されます。

小國神社様の御垣内には真名井と呼ばれる井戸があり、この井戸の水が神事などでお供えされます。また、真名井の水を使って、神饌殿では、なんと古式神酒(どぶろく)が造られています。この「どぶろく」は、もちろん神事でお供えされますが、直会などで供されることもあります。神様からの恩恵(「恩頼」みたまのふゆ)をいただいているためか、素晴らしく美味しいお酒で、飲みすぎてしまうこと間違いないように思います。

小國神社様の脇を流れる宮川は散策に訪れる人も多く、心が和む素晴らしい場所です。初夏には新緑が、晩秋には紅葉が美しく、多くの人が訪れます。神社様への参拝とともに宮川沿いに散策することで心落ち着かせられるとテレビ番組でも取り上げられたこともありました。宮川沿いには小國神社様のご神域で焼かれているという珍しい「遠州みもろ焼」窯もあります。打田宮司様の名づけた「小國ブルー」の青色を基調にした美しい陶芸品も作られています。また、門前の「ことまち横丁」や参道の「明神通り」には多くの土産物屋さんが並んでおり、楽しく立ち寄ることが出来ます。皆様も休日には小國神社様を訪れて、ご参拝の後に、のんびりと宮川沿いを散策されてみてはいかがでしょうか。

小山展弘