NEOぱんぷきん 2021年11月号 好きです「遠州」!
矢奈比売神社―天下の奇祭「見付天神裸祭」で著名な遠江国を代表する古社

矢奈比売神社様は、「見付天神」と親しまれている見付の産土神・鎮守神様で、「天下の奇祭」と言われる見付天神裸祭や悉平太郎伝説などでも有名な遠州を代表する神社です。学問の神様である菅原道真公も一条天皇の勅で993年よりお祀りされ、お正月には合格祈願でも賑わいます。矢奈比売神社様の創始は分からないことが多いのですが、延喜式内社であり、続日本紀に840年に従五位下、三代実録に860年に「矢奈比売天神に従五位上」の神階を賜ったとの記述があり大変長い歴史を持つ古社であると考えられています。

ご祭神の矢奈比売命様についても詳しいことは分かっていません。「矢奈比売」というご神名を持つ神様は他では祀られておらず、内山真龍は「遠江国風土記伝」で山城風土記に記載のある「矢之姫神(玉依姫神様の娘神様)」であると記しています。山中共古は、出雲風土記に記載のある須佐之男命様の御子神の一柱である「八野若日女命」様が矢奈比売命様であるとしています。祇園祭を行う天御子神社様の主祭神が須佐之男命様であり、その関係神社として八野若日女命様が祀られ、矢奈比売神社様になったと推測しています。一方、見付天神裸祭保存会編著の『見付天神裸祭』には矢奈比売命様は「地母神」であると書かれています。古田清氏と後藤敏完氏は『神職から見た見付天神裸祭』で、古代は原生林で覆われていた磐田原台地全体が「山の神」として信仰され、矢奈比売命様はその山に御降臨された神と考えています。清水秀明氏は『東海道見付宿の助郷』で「古代の民間信仰からいって長い年月の間にヤマヒメがヤナヒメに転化した…矢奈比売命は山の神である…怪物が住んでいるといって、たたりを恐れて人々が近づかなかった伝承は山の神信仰にもとづくものであろう…拝殿より手前に鎮座する山神社こそ曾ては古い信仰の本体」と述べています。同書には、粟や大豆・小豆がお供えされるなどの農業神への祭祀の要素が裸祭で見られることは、山の神が春になると里に下りてきて田の神となって稲作を守り、秋になると山に帰るという「山の神信仰」の表れと解釈することもできると述べられています。また、裸祭で矢奈比売命様のお神輿が出御する前に山神社様で特別な祭祀が行われることも、山神社様が重要な存在であることを物語っています。山神社様に祀られているのは大山祇神様ですが、前述のとおり、磐田原台地をご神体とする古代の信仰が起源とも考えられます。加えて、山口大学の谷部真吾准教授とも議論しましたが、秋葉山、竜頭山、山住山(山住神社)、常光寺山、さらに南アルプスなどを崇拝する山岳信仰の影響もあったかもしれず、興味は尽きません。

天下の奇祭「見付天神裸祭」も興味深い謎に満ちています。他地区の裸祭は冬に行われるものが多いですが、見付天神裸祭は夏に斎行される比較的珍しい裸祭です。腰蓑をつけることも特徴です。石川博敏氏は同じく腰蓑を身に纏い、祭日が同じ時期であること等から気比神宮の祭事が見付天神裸祭のルーツと推測しています。「鬼踊り」については、菅原道真を勧請した際の「歓喜踰躍の舞」由来説、菅原道真の天神御霊会や祇園御霊会に影響を受けた御霊信仰の神事由来説、悉平太郎による狒狒退治を喜んで踊ったことに由来する説があります。『見付天神裸祭』には「鬼踊りとはケガレのない氏子が拝殿の大床を踏み平す」という意味の祭事の祝詞に注目し、「鬼踊り」は地面を強く踏みしめることで邪霊を封じ込めて祓い清めをする陰陽道の「反閇」に由来するとの谷部准教授の説も書かれています。確かに「見付天神裸祭」は、浜垢離をはじめ、お神輿渡御の道も見付の町も参加する氏子も、何度も祓い清めることが特徴で、「鬼踊り」もその一つとして位置づけることもできると思います。また、見付の町を祓い清める祭事の性格、矢奈比売命様のお神輿が遠江国総社の淡海国玉神社に渡御する神事などから、見付天神裸祭と他の国府や総社の祭事(尾張国大国霊神社の裸祭など)との共通点を指摘する人もいます。ところで、お神輿の渡御は、深夜、暗闇の中で行われます。大嘗祭や神嘗祭、伊勢神宮の式年遷宮、武蔵国総社の大国魂神社の暗闇祭(かつては深夜に渡御)なども浄闇の中で神様が遷座されます。見付天神裸祭は「清らかな闇の中でご神体は渡御する」という日本人古来の信仰を現在に伝えていると考えられます。

小山展弘