NEOぱんぷきん2022年4月号「好きです遠州」
大頭龍神社-菊川市を代表する「正一位」の疫病鎮護の古社

菊川市加茂に鎮座する大頭龍神社様は、明治の神仏分離以前は「大頭龍権現」と呼ばれ、「疫病鎮護」「水難除け」「厄除け」「縁結び」の御神徳が高いと敬われてきました。その信仰圏は遠州地方のみならず、静岡県中部や愛知県東部にまで広がっています。ご祭神は、大物主大神様、大山咋大神様、出雲竜神様です。大物主大神様を主祭神としてお祀りする神社の総本宮は大和国一之宮でもある大神神社様です。大頭龍神社様の大物主大神様も大神神社様から勧請されたと伝わっています。大神神社様には本殿がなく、三輪山をご神体とした拝殿のみがありますが、社伝によれば、大頭龍神社様も792年の創建当初は社殿がなく、山をご神体としていたようです(現在でも拝殿の東側にご神体山を直接礼拝する場所があります)。社殿が建てられた後も、人々は、山を奥の院と崇め、「大頭龍」と呼んでいました。また、「大龍院」という天台宗の寺院も創建され、おそらく、その寺院の鎮守として山王権現様(大山咋大神様)も祀られるようになったと推測します。1574年に武田勝頼が寺院・社殿のすべてを焼き払ってしまい、それ以前の記録も失われましたが、1580には復興を果たし、その際に大頭龍権現様と山王権現様を相殿とする社殿が建立されたと伝えられています。天明の飢饉の際にはこの地方に疫病が流行りましたが、大頭龍神社様の大前で疫病鎮護の御神火を焚いて祈願したところ、疫病が収まったとの言い伝えがあります。この故事にちなみ、現在でも例祭の折には「疫病鎮護のお篝火」を焚く神事が行われています。1734年には正一位の神階を受けました。

ご祭神の大物主大神様は、『日本書記』には大己貴命様の和魂(幸魂・奇魂)であると記されています。一方、『古事記』には大国主大神様が国造りに悩んでいた時に、海の彼方から大物主大神様が現れ、「我を倭の青垣の東の山の上に祀れば国造りはうまくいく」と告げ、大国主大神様は大物主大神様を祀り、無事に国造りができたと記されています。この「倭の青垣の東の山」が三輪山であると考えられています。また『古事記』には、崇神天皇が天変地異や疫病に悩んでいると夢に大物主神様が現れ、「大田田根子に我が御魂を祀らせれば国は安らかに治まる」と告げたため、崇神天皇は大田田根子を捜し出し、三輪山で祭祀を行わせたところ、天変地異も疫病も収まったとの言い伝えもあります。これらの伝説から大物主大神様には疫病鎮護のご神徳があると考えられています。なお、大神神社様の付近には、古代大型集落の巻向遺跡があり、ここに古代の都があったのではないかと考えられています。大神神社様を中心に、東には伊勢神宮、南に熊野本宮大社や潮岬、北に比叡山、西に大鳥神社と伊弉諾神宮が位置しています。境内の檜原神社様は、天照皇大神が伊勢神宮様でお祀りされる以前に、宮中から遷され、最初に祀られた地といわれています。大神神社様の主祭神の大物主大神様は、古代の都と国土を守る偉大な神として崇められていたと推測します。

大頭龍神社様の例祭の最終日の深夜に、神職と氏子代表がご神体山に入り、七十五膳をお供えする神事が行われます。無言無灯でお櫃を担いでご神体山に入り、山内で七十五本の幣を建て、おこわを藁でできた皿に盛って御幣にお供えし、宮司様が祝詞を奏上して、神事は終わります。深夜に行われえることや七十五という数については詳しくは伝えられておりません。岡山県の吉備津彦神社の例祭にも七十五膳をお供えする神事がありますが、こちらは昼間に斎行されます。奈良県から和歌山県に続く「大峰奥駆道」には七十五の「靡」(行場)がありますが、七十五という数に神聖な意味があるとも考えられています。遠州の秋葉山秋葉寺では、大祭の最終日である十二月十六日未明の深夜に、秋葉山中の決められた地に七十五膳を、三尺坊大権現様の眷属である天狗様にお供えする秘儀があります。江戸時代以前の神仏習合時代に、秋葉信仰が大頭龍神社様に影響を与えたものかもしれません。また、その他、大頭龍神社様の例祭では、江戸時代より続く、「金的」を射抜く「お祭り弓」が行われていることも特筆されます。新型コロナウイルスの収束と日本の平安も願いつつ、皆様も大頭龍神社様を訪れてみてはいかがでしょうか。

小山展弘